川連塗り工房 寿次郎を訪ねて 2016年3月①

10日ほど前になりますが、秋田の中では宮城、山形との県境に近い湯沢市にある川連塗りの工房、寿次郎を訪ねました。今年は雪が少ないとはいえ、まだ田んぼは真っ白。
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県南に入ると、屋根にはしごをかけてある家が多くあり、寿次郎さん宅もそうなっているのですが、雪の少ない今年はすでに玄関回りは雪も消えてすっきりしていました。
川連町は、十文字や湯沢の市街から少し離れた川沿いの小さな盆地にあり、川連漆器にたずさわる人々で街が成り立っているところです。町の中心部の一角は、職人の方々の家が、曲がりくねった小路のなかに寄り添うように建っているので、初めて来た人はきっと迷う。
顔を上げると、遠くには奥羽山脈の雄々しい山々、山から流れる清らかな水をたたえた川。ピンと張りつめた澄んだ空気。秋田に住んでいると、時々タイムスリップした気になることがありますが、この街もそう。
美しいところです。

さて、話は寿次郎さんでした。応対して下さったのは、寿次郎代表の佐藤幸一さん。今回はお弁当箱を購入に来たのですが、ゆったりとした語り口で川連漆器の昨今の問題・・・産地の存続の話や、塗り師である幸一さん、史幸さん親子の塗り師としての経歴などをお話して下さいました。翌日から福岡にいらっしゃるというのに、丁寧にお付き合いいただけて心より感謝しています。

写真は、5寸椿皿を茶卓に使っていらっしゃるもの。この椿皿は、布を貼って漆をかけた素敵なデザインのもので、縁もぼかしが入っていて味わいがある一品です。こんな使い方、贅沢ですが、お洒落ですね。
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川連でも後継者がなかなか育たないのだそうです。家業として営んでいても継がない人が多いのは、どの伝統工芸の世界も同じだと思いますが、一人前になるまでにとても時間がかかるから。そして、職人となっても時間と労力がかかる割に、収入が伴わないからなのでしょうか。
「職人」の高い技術を身に着けること・・・これは本当に大変なことなのでしょう。天性の才能があっても、長い長い修行の生活が必要なのだと思います。

ちなみに幸一さんのご長男史幸さんは、高校を卒業後、石川県にある輪島漆芸技術研修所にて基礎技術を学ぶ研修課程を2年、さらにその上の技術を学ぶ研修課程を3年を経て研鑽を積んだと伺いました。
この研修所は、重要無形文化財保持者(人間国宝)の技術伝承者養成とそれに関連する漆芸技術の保存育成、調査研究、資料収集を目的として文化庁の助成を得て石川県が運営しているそうです(かつては国立)。教授陣には、人間国宝の方々が多く、受講生は、史幸さんのように漆器の「産地」出身の人だけでなく、芸大を始めとする全国の芸術系大学で漆芸を学んできた方が多くいらっしゃると聞きました。
「に、人間国宝?」聞いただけでも、研修所としてのレベルの高さに圧倒されそうですが、人間国宝の先生に教えてもらえると言うのは、若い職人の卵としては、どんなに幸運なことかと思います。技術だけでなく、立ち居振る舞いすべてにおいて、学ぶことが多いでしょうから。

芸術系の大学卒業生に混じりながら一生懸命学ばれた史幸さん。研修所の卒業作品で、賞を取られたそうです。才能あふれる方なのですね。
作品を出せばすぐに受賞する新進気鋭の作家としてデビューできる才能の持ち主だったと思われますが、明治初期から100年続いてきた伝統ある家柄。簡単には「一人前」にさせてもらえなかったようです。お父様の幸一さんは「塗り師として一人前になるのには修行5年、経験5年、計10年の年月が必要」とおっしゃいます。そして同時に「賞を取ることに意味があるのか?賞は、受賞を決める人達の恣意的な評価になることもある。真面目によいものを提供できてこそ、ほんもの。伝統工芸展に作品を出すのは、40歳になってからと、輪島の研修所でお世話になった人間国宝の先生も史幸に伝えていた」ともおっしゃっていました。

厳しいお父様の一言。でも、伝統ある工房「寿次郎」を守る大きな包容力をお持ちの方です。

漆器をご存知の方はわかっていらっしゃると思いますが、漆器作りは分業で行われています。木から器を加工する「木地師」。器に漆塗りを施す「塗り師」。漆塗りに豪華な絵を描く「蒔絵師」、漆塗りに金属製の引っ掻きのような道具で絵を彫り、彫られた繊細な溝に細かい金を埋めて絵を描く「沈金師」。
それぞれ家業として営まれていることが多く、最初にお伝えした川連町の中心部に、それぞれの工房が歩いて行けるほど近くに建ちながら集落を形成しています。車がなかった時代、雪の多い川連では、お互い近くに住むことで、やり取りがスムーズに行えるようにしてきたのでしょう。

さて、史幸さん。お父様の話では、「仕事が伝統工芸」とのことです。「え?何ですかそれ?」と思わず聞き返してしまいました。
説明していただくと、ひとつひとつの作業をとても丁寧に行い、手をかけ過ぎて、作り出す品が「商品」を超えて「作品」に近くなる傾向があるのだそうです。
それを使うものとしては有難い話ですが、長く良いものを作り続けてほしい消費者としては、史幸さんが疲れて大変にならない程度にお仕事なさっていただければと思います。
初めて伺った時には、史幸さんの力強くダイナミックな作風は男性的で、「縄文的」と称されるとも聞きました。

寿次郎の特色は、基本が無地。シンプルだけれど、美しく、使えば使うほど味の出る漆器だと私は思っています。
木地師から届いた木地に下地を塗って、休ませて、やすりをかけて削って、今度は漆を塗って、また削って・・・漆を塗って・・・の繰り返しを10回では不十分。10回を越してもまだまだ続ける塗り師の仕事。
塗った木地を休ませるのも時には3か月~半年もかける時もあるそうです。休ませると木が締まって、さらに良くなる、そしてまた塗る。
丁寧に繰り返すこと、それが基本とおっしゃる幸一さん。手抜きをしないこだわり職人の幸一さんが「手をかけ過ぎ?」って、言うくらいですから「史幸」さんの丁寧さ、職人魂って一体どのようなものだろうかと思ってしまいました。本当に・・・面倒くさがり屋の私には、気が遠くなりそうな話・・・です042.gif

ちなみに、私が今回購入してきた天然秋田杉のお弁当箱がこれです。写真の技術がないので、溜め塗りの色が出せないのが残念ですが、うっとりする美しさ。均一でありながら、ピカピカと光っていない上品な質感を持った品です。
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そうそう史幸さんは、ちょうど40歳。そろそろ作品を出しても良い年齢になったかな?とお父様が帰りがけにおっしゃっていました。
次回は幸一さんのお話をしたいと思います。


by fukidayori | 2016-03-24 12:07 | 秋田 川連塗り 寿次郎 | Trackback | Comments(0)
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